日本は戦後80年という大きな節目を迎えました。この間、国内で武力紛争が起きることはなく、平和な状態が続いています。実際に、2025年の世界平和度指数ランキングでは、日本は世界で第12位、アジアではシンガポールに次いで、平和な国と高く評価されています。しかし、世界に目を向けると、ウクライナ侵攻の長期化や中東におけるイスラエルとハマスの衝突など、国際社会の平和が脅かされています。
私が所属する総務委員会で10月29日から3日間、被爆地である広島市と長崎市へ行政視察に行きました。船橋市は昭和61年に平和都市宣言を行なっています。
現地で改めて学んだのは、原爆の想像を絶する恐ろしさです。最大の破壊力を発揮させるため、上空(広島約600メートル、長崎約500メートル)で炸裂した原爆は、3000度を超える熱線を放ちました。さらに猛烈な、秒速440メートルの爆風が一瞬にして街を壊滅させました。そして最も恐ろしいのが、目に見えない放射線の被害です。放射性物質を含む「黒い雨」により、今もなお、がんなど長期的な健康被害に苦しみ続けています。見えない被害こそが、原爆の真の恐ろしさです。
1945年8月6日午前8時15分、広島市に原爆が投下されました。軍事拠点であった広島は、米国が開発したばかりの原爆の威力を確認するために標的とされ、人口35万人のうち約14万人が犠牲となりました。街のシンボルだった広島県産業奨励館(原爆ドーム)は今や「ノーモア・ヒロシマ」の象徴として核兵器の恐ろしさを訴えています。そのほかにも「はだしのゲン」の舞台となった本川小学校なども視察しました。
その3日後、8月9日午前11時2分、長崎市に原爆が投下されました。当初目標の小倉市が天候不良だったため、軍需工場があった長崎市が標的とされました。爆風で残った山王神社の「一本柱鳥居」や、崩壊した浦上天主堂の鐘楼は、言葉にできないほどの悲惨さを物語っていました。
現地の案内人は「知識だけでなく、実際に見て体験してほしい」と強調していました。歴史を知っていても、現場を見ると言葉を失います。 原爆は、一瞬で都市と人々を無差別に大量虐殺する兵器です。広島の平和記念公園内にある慰霊碑には、平和への誓いを込めて「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。
戦争という過ち、再び悲劇を繰り返してはなりません。
視察中にも、ノーベル平和賞を望んでいるとされる米国大統領が、核実験を再開する可能性を示唆したと報じられました。過去にはマザー・テレサ、バラク・オバマ、昨年には日本被団協も受賞しました。日本の首相は、米国大統領を推薦する意向を示しました。核実験の再開を示唆する人物が受賞するに相応しいのか。私はそうは思いません。